川金ホールディングス「改竄」に思う
地元の雄、川金。川口金属工業。
NHKニュースウォッチ9のトップニュースは、『ダンパー問題で川金ホールディングスも改竄』という内容でした。
私の地元企業なので同情が先に来るのをグッと堪えつつ、少し考えてみます。
社会的な責任はどの企業でも負っています。
企業として、社会からの信頼・社会への約束をなんと心得るのか!と問い詰めるのは簡単ですし、その通りだと思います。
それはこれから、マスコミを中心に十分なほど制裁が下されていくのでしょう。
ですので、ここではまず、その内部を想像してみます。
数多くの従業員を抱える企業でしょうから、改竄の事実をすべての従業員が知っていたということはあり得ないでしょう。
上層部の人の関わりは分かりませんが、検査データの記載手順や抜け道を、検査に関わる部署以外の人間が知るなどという、非効率な組織編成になっているとは考えにくいと思います。
同社グループの大半の人は
え?改竄?うちも?
といったところでしょうか。
広報部門は地獄の電話対応が始まっているでしょう。
財務部門は銀行からの借り入れが苦しくなるでしょう。
営業部門は、これまで誇らしさとともに客先に渡していた名刺を、これからはどんな思いで渡すのでしょう。
しっかりしたものを納品せよ、と納入先に要請してきた調達部門は明日からなにを要請するのでしょう。
これらの人々は皆、検査データなど見たこともないんじゃないでしょうか。
さすがに、従業員の人々に対して一様に改竄のレッテルを貼って責めるのは行き過ぎだと思うので、私は控えます。
じゃあ犯人探しを進めて、その人を責めるべきかというと、それも私には抵抗があります。
戦後GHQが、ナチスドイツのヒトラーに相当する人物を、日本で探してみたが、どこにも悪魔的欲望を持った独裁者は見つからない。
(後からみれば)度が過ぎるほど真面目で忠誠心の強い官僚が見つかるのみでした。
当時の首相と言えど、独裁者というより一官僚でした。もっと言えば一担当でした。
責任者ですので、責任をとってもらうしかないのですが、なにやらスッキリしない。
私としては、自分が逆の立場だったら同じだろうと認めざるを得ないからです。
いやむしろ、そんなに自分の仕事を全うする責任感は持てなかったと思います。
今回の件に、独裁的上層部の人がいたのかどうかは私ごとき知るよしもありません。
会社から?会社自体が?猛烈なプレッシャーのなか、後には引けない無理な受注をしたのでしょう。
ニュースでは、ダンパーの初受注品からして改竄していた、と言っていました。
そこは組織として大いに反省すべきだと思います。
しかし一方で、「そうだそうだ」と声を合わせて叫ぶほど、悪意に満ち満ちた事件だと言い切れないような雰囲気も感じるのです。
今回含め、相次ぐ大企業の改竄等不祥事を受けて、我々一市民が考えたほうがよいと私が思うことは以下です。
ニュースでよく言われる「日本の製造業の信頼を失った」ということについて。
製造業側の傲りもたしかにある。
同時に、中身もよく分からないまま一般の人も日本の製造業は一番だと勝手に思い込んでいたのではないかということ。
製造業の革新に次ぐ革新は、不可能や無茶な要求レベルをすべて乗り越えてきたものだと礼賛し、更なる要求に遠慮会釈がなくなってきたこと。
いつまでたってもお客様は神様です、の精神によって疲弊してきた製造業の悲鳴に聞く耳など持たなくなったこと。また、製造業自体が自分たちの悲鳴に耳を塞いできたこと。
日本の製造業は凄いです。
この製造業を支えていきたい。社会で支えていきたい。
製造業が製造業に無茶な要求を繰り返し、末は一消費者までの(悪意はなくとも結果的に)むごい要求の連鎖が、製造業全体を疲弊させているのです。
その疲弊が、改竄という醜い形で露見してしまった、そんな気がするのです。
当たり前ですが、改竄を肯定する気など更々ありません。
製造業同士で、できないものはではないと率直に言い合える連鎖に期待したいです。
それはイヤな開き直りではありません。
「じゃあ他社にお願いするからいいよ」ではなく「どこまでならできる?たとえばこれならできる?」などの連携がほしい。それを許容する社会であってほしい。
それが製造業の自浄作用に繋がると思います。甘えよりも自浄効果が強いと思います。
低賃金と豊富な資源を有する海外勢との激しい競争原理が働くなか、要らぬ競争で国内同士疲弊しあっていてももったいない。
産みの苦しみはあるでしょうが、国内製造業の連鎖がひとつのグループを成し、国の協力も得て強い基盤を作っていってほしいと思います。
それは超巨大企業の垂直的な大号令ではなく、あくまで連鎖・連携によって強化されていくものだと思っています。